大峯奥駈
GWに奈良の大峯奥駈道を縦走登山してきました。
昨年の大峯奥駈(和歌山〜奈良)
昨年のGWに南半分(和歌山〜奈良)、今年北半分(奈良)と、2年に分けて歩き終えました。
これまでも毎年縦走登山はしていたのですが、大峯奥駈のように本格的な修験の場所を歩くのは、昨年が初めてでした。
白装束
まず服装が違いました。半白衣や地下足袋、ひのき傘など、最低限の装備を揃えて行きました。
また山の中では、携帯の電源を切るようにしていました。
地下足袋は底が薄く、足の皮がむけて大変でした。
ある程度してから、歩き方のコツは掴みましたが、歩き方の誤魔化しが効かない、良く言えば修行になる履物と感じました。
また白装束を着ていると、全身が天然素材だからか、自然と繋がりやすい感じがありました。
と同時に、修験道の感覚とも繋がるような感覚もありました。
魂的な喜び
個人的には過去生で何度も修行していたようで、歩いていると過去の修行の感覚も重なってきて、なかなか普段の縦走登山のようには楽しめない感覚がありました。
ただなぜか、魂的な深い喜びも感じるようで、向き合う楽しさを感じられる縦走でした。
今年の大峯奥駈(奈良)
しかし昨年は結局、途中で雨が降ってしまい、途中下山しました。
ということで、今年はその続きからになりました。
前泊
吉野で前泊したのですが、その時点で抵抗が出過ぎて、あぶり出しが大変でした。
1日目
1日目は持経の宿を通過し、前鬼の宿坊まで歩きました。
あぶり出しが凄いので、ずっと感情を解消しながらでした。
2日目
2日目は弥山小屋まで歩きました。
途中道に迷って少し時間をロス。また最後に膝を痛めてしまいました。
しかし少しトラブルがある方が、感覚は目覚めてくるもので、どこか感覚を信じて歩いていけるような感覚が出てきました。
過去生では散々歩いてきた山だからか、どこか庭のような感じもしてきました。
3日目
そして3日目は、山上ヶ岳の宿坊まで歩きました。
膝を痛めて、下りが通常の1.5倍か2倍くらいかかるようになっていました。
変なペースなので、ほぼ一人で歩いていました。また膝が痛いので、丁寧に歩かざるを得ない状態でした。
何となく修験は本来一人で歩くもののように感じていたので、これは丁度良くて、一人で歩く喜びを感じられました。
自然の中で一人。その孤独感が感覚を研ぎ澄ましてくれたように思います。
4日目
そして最終日は吉野まで歩きました。ほぼ下りなので不安だったのですが、意外と淡々と歩けたように思います。
最後には、どこか過去生も重なったような達成感がありました。
そして、過去生の統合が進んだ感覚がありました。
個人的には苦行を卒業できたら、という思いを持って臨んだのですが、少し手放せたような気がしました。
その後、後泊してから、神戸の実家に行きました。
振り返り
行く前は抵抗だらけでしたが、行った後はどこか感覚がフラットになっていて、色々なものが手放せたような感覚がありました。
いい意味で、全てがどうでもいいような、そんな感覚でした。
今はもう街の感覚になっていますが、フラットな感覚を経た上なので、どこか違うような感覚はあります。
自然の中を一人歩いていた感覚を、日常の中でも生かしていけたらと思います。
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